夢の続きを、共に走る仲間たちへ。
皆様、はじめまして。ドリームホース共有馬主クラブ代表の高木 毅です。
この度は、私たちのクラブに興味をお持ちいただき、誠にありがとうございます。
1991年の宝塚記念――名実況・杉本清アナウンサーはこう叫びました。
「今年もあなたの、私の夢が走ります。あなたの夢はメジロマックイーンか、ライアンか、ストーンか。私の夢はバンブーです。」
夢であったバンブーメモリーは最下位入線の惨敗でしたが、このフレーズは今も多くの人の心に生き続けています。
私が競馬の世界に強く惹かれたきっかけ――
それは、地方競馬から現れ、瞬く間に全国のファンを魅了した名馬・オグリキャップの存在でした。
子供の頃、憧れの馬に夢を重ね、いつか自分が馬主になり、世界中の競馬場で自分の馬が駆け回る姿を思い描きました。
けれども、華やかな舞台の裏側で、“名馬”と呼ばれた多くの馬たちが静かに人々の記憶から消えていく――そんな現実を目の当たりにしてきました。
栄枯盛衰は世の常かもしれません。
しかし、私を魅了してくれた馬たちの血や物語が、このまま途絶えてしまうのは、あまりにも寂しい。
だからこそ、勝利にこだわりながらも、夢をくれた馬たちの子どもたちと共に歩み、その価値を味わい、未来へつなげていきたい――そんな想いが、私の馬主としての原動力になっています。
その想いから、オグリキャップの血を未来へつなごうと奔走した日々もありました。
しかし、たった一頭の馬を生み出すためにかかる費用、繁殖や育成の難しさ、“不受胎”という厳しい現実……理想と現実の間には、個人で乗り越えるにはあまりに高く厚い壁がありました。うまくやれない葛藤で苦しみ、多くの人々も傷つけたこともあります。
自分の力では、一頭ずつしか守れない、いや一頭ずつでも厳しい――そう痛感し、一人で抱え込んでも、経済的にも精神的にも限界を感じるばかりでした。ただ、それでも、夢を諦めたくはない。
“私の夢の続きは――”
たどり着いた一つの答えは、「一人で背負うのではなく、同じ想いを持つ仲間と夢を分かち合い、力を合わせて進むこと」でした。
私ひとりでは1頭を守るのも精一杯。でも、20人の仲間が集まれば、1頭を支える余裕が生まれ、もっと多くの挑戦も可能になる。
余裕があれば、その1頭にいろいろな対応もできる。喜びも増える。
これこそが、これからの競馬の新しい楽しみ方だと、私は確信しています。
1791年に創刊されたジェネラルスタッドブックに乗っている馬をサラブレッドと言われるようになり、その直系牡馬は、ダーレーアラビアン、バイアリーターク、ゴドルフィンアラビアンという三大始祖になってしまいました。
最も古いバイアリータークは1679年生まれとされ、2025年現在からみると346年前になります――人の夢と情熱がつないできた奇跡の歴史です。
それほど貴重な血脈ですら、今や失われつつあるという現実があります。
競走馬は「夢」と「経済」を両輪にして走る存在です。
血統を守るロマンだけでなく、レースで勝利し賞金を稼ぐ実利を追い求めること――
“夢と現実”を両立できる競馬の楽しみ方が、これからますます大切になると私は考えています。
そのためには、一人ひとりが無理なく楽しみ、実益も得られる環境が必要です。
それこそが、ドリームホース共有馬主クラブを立ち上げた理由です。
このクラブは、名馬たちの血と夢、そして仲間との絆を“次の時代”につなげていくための、私たちの新しい挑戦です。
私の夢、それは――
オグリキャップの子孫が地方競馬から中央競馬へと駆け上がり、再び競馬界を席巻すること。
そして、時代の流れの中で失われかけた希少血統を受け継ぎ、新たな血脈を生み出し、未来へとつなげていくこと。
では、あなたの夢は――夢の続きを、一緒に見ませんか。
Dream Horseは、このような一人ひとりの馬主様が抱く夢を共有し、共に叶えていくためのクラブです。
希少血統を未来へつなぐ“夢”をただ描くだけでなく、生産から育成まで最適な環境を選び抜き、勝利へ導く厩舎を厳選し、その夢を現実にしていくことを目指します。
私自身、皆様にご満足いただける最良の選択を追求し続けることをお約束します。
この熱い思いを集めた場所――それが、ドリームホース共有馬主クラブです。
競馬を愛する皆様が、その物語の主人公になれる。
そんなクラブを、皆さんと共に育てていきたいと心から願っています。
伝説の継承と、新たな可能性へ。
私たちの夢は、今ここから、走り始めます。
ドリームホース共有馬主クラブ
代表 高木 毅