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所属馬紹介 【DH-003】グリングリングラス

総額
396,000 円
口数
20 口
一口
19,800 円
支出・収入の入力日:2025-07-31
収入(控除前): 107,000 円 / 手数料: 5,350 円 / 利益(=収入控除後): 101,650 円 / 総コスト: 561,000 円
(内訳)募集金額: 396,000 円 / 支出合計: 165,000 円
回収率: 18.1%(= 収入(控除後) / 総コスト)
戦歴(最新順)
日付レースクラス距離馬場着順騎手調教師コメント
2025-09-04佐賀10R夕凪特選(C2)ダ17507西森将司井樋明正ブリンカーをつけてもまだ集中できていませんでした。少し短い距離で成長を期待しています。
2025-08-09佐賀5R夏。小倉大賞典(C2)ダ17505加茂飛翔井樋明正まだ緩く、スタミナが足りませんでしたが、秋に向けて成長しています
2025-07-22佐賀5RJRA交流サマーカッ(3歳)ダ18609加茂飛翔井樋明正相手も強く、距離もあっていませんでした
目次

【DH-003】グリングリングラス・牡3歳

【DH-003】グリングリングラス・牡3歳 

佐賀競馬 井樋明正厩舎 生産:柏木牧場様

POINT

希少なバイアリーターク系を父に持つ芦毛馬・グリングリングラス。父ギンザグリングラスは、日本で数少ないバイアリーターク直系の種牡馬です。
その血統を未来へとつなぐ“ロマン”を背負い、この馬は2025年2月、父ゆかりの川崎競馬場で初勝利を挙げました。

グリングリングラスは、これからさらに成長し、新天地・佐賀競馬場での飛躍や、将来的な種牡馬入りも夢ではありません。
近代競馬の三大始祖・バイアリーターク系の貴重なバトンを、次はあなたと一緒に未来へつなぎましょう。血統のロマン、愛馬と歩む物語、そして仲間と分かち合う喜び――あなたの夢を、グリングリングラスとともに叶えてみませんか。

血統表

グリングリングラスの血統表を語る上で忘れてはならないのが、直系祖父に名馬メジロマックイーンの血が流れていることです。メジロマックイーンは日本競馬史上屈指のステイヤー(長距離馬)であり、史上初めて祖父・父・仔の三代連続天皇賞制覇を成し遂げた伝説的な競走馬です。その誕生の背景には、メジロ牧場創設者・北野豊吉氏の熱い想いがあったことは有名な話です。北野氏の「メジロティターンの子供で、父仔三代の天皇賞馬を出せたら、思い残すことはない。」という想いを胸に遺志を受け継いだ牧場スタッフの努力により、メジロティターン産駒の芦毛の牡馬としてメジロマックイーンが誕生します。天皇賞馬にも関わらず、種牡馬として人気がなかったメジロティターンは、他所の牧場から繁殖牝馬が集まらないために交配相手はメジロ牧場の繁殖牝馬が半数だったそうです。

父、ギンザグリングラスもあるオーナーの熱い想いで種牡馬入りすることができた経緯があります。種牡馬として同じく人気を集めることはありませんでした。しかし、誕生した13頭のうち、ラストクロップでデビュー前のウインプライマリーの2023を除く12頭は驚異的な活躍をしています。12頭のうち実に7頭が勝利を収めています。グリングリングラスも南関東で川崎競馬場で勝利を収めています。

血統の未来へ—希少なバトンをあなたとともに

このようにグリングリングラスは、父系に希少なバイアリータークの直系血統を、母系に名門メジロ牧場の底力ある血統を併せ持っています。競馬史に残るドラマとロマンを孕んだその血筋は、ファンのみならず競馬関係者にとっても特別な意味を持つものです。近年の競馬界ではダーレーアラビアン系が席巻する中、バイアリーターク系の存続は世界的な課題ともなっています。だからこそ、グリングリングラスのような馬が競走馬として活躍し、将来種牡馬として後継を残していく意義は非常に大きいと言えます。希少な血を次世代へ繋ぎ、ときには母の父として競走馬の底力を支える存在となるためにも、この血統を途絶えさせず種牡馬として残していく必要があるのです。

グリングリングラスは2025年に初勝利を挙げたばかりの若馬ですが、その背中には近代競馬の三大始祖の一つ・バイアリーターク系の貴重なバトンが託されています。これから佐賀競馬場でさらなる飛躍を遂げ、ゆくゆくは種牡馬入りして血を繋いでいく——そんな未来図も現実味を帯びてきました。血統のロマン、愛馬と歩む物語、そして仲間と分かち合う喜び――そのすべてを兼ね備えたグリングリングラスとともに、あなたも夢を叶えてみませんか。次はぜひ、あなたと一緒にこの希少な血統のバトンを未来へ繋いでいきましょう。

共有代表としての想い

グリングリングラスは、私がセリで出会い、育成の時期から共に歩んできた、特別な想い入れのある一頭です。
父の血をつなぐという夢を託し、目の前の1戦1戦を、仲間たちとともに積み重ねてきました。
2025年2月、父が駆け抜けた川崎の地で初勝利を挙げたとき、その努力と想いが結実した瞬間を、私は一生忘れることができません。

このまま自己所有のまま応援を続けることも考えていました。
しかし、この馬が背負っている“希少な血統”と“想い”は、もっと多くの人と分かち合い、次の世代へとつなげていくべきではないか——
そんな気持ちが、強くなっていきました。

 

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